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しおチャン

Author:しおチャン
還暦、リタイアで子供にかえって60年代ヒコーキプラモを作っています。
信州飯田のなかば田舎、半分街中のどっちつかずの田舎暮らしを楽しんでいます。

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庭の花たち、フキノトウ・フクジュソウ・ゼラニウム
fukinto

庭の草木に油かすをやっていたら、足元にひょっこりと出てきたフキノトウです。
天ぷらにするとおいしいんですよね。
ちょっとした苦みがたまらない。

fukujus

今年はフクジュソウが早く咲きだしています。
暖かいですからね。
日の光を一杯浴びながら暖まっています。

zerani

ゼラニウムも玄関の中で今年はらくらく年越しが出来ました。
このまま暖冬で済んでいくんでしょうか。
人間は新型肺炎で大変不安ですが、木も花も季節が来ればちゃんと
咲いてくれます。

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信州飯田の田舎暮らし | 11:43:46 | トラックバック(0) | コメント(0)
失われた暮らし 短編集「サンカの民を追って」
sanka1

この本は、明治後期から昭和の30年代ころまでに書かれたサンカの
民が登場する短編小説を集めたものです。
岡本綺堂や小栗風葉・椋鳩十など、多彩な作家の作品が収録されて
います。

サンカは国民として把握されることなく山の中で独自の集団を作って
暮らしたとされる人々で、明治期には20万人くらいいたのではないかと
されています。小説の中ではこのように描写されます。

「それは山の中に小屋や洞窟などを作って棲んでいる下等人種で、とき
どき里に出て乞食をする、盗みを働く、人殺しなども平気で遣るという、
始末に負えない浮浪者の群れで、こ゚の山の中でもニ三十人ほどは巣を
作っているのだそうです。」

近代文学の中でサンカが注目されたのは、日露戦争がきっかけになった
と言われます。
「サンカが戸籍を持たないことに象徴されるように、現代社会から隔絶され
た、非・国民であることにこだわるのは、-中略ー 国民国家の制約と無縁
の(原始の自由)に対して、実は作者自身がどこかで驚嘆と愉快を感じると
ともに、畏怖しているからだろう。」

昭和に入ってからも、戦争に追い詰められていた知識人たちはサンカに
ますます注目せざるを得なくなっていくのですね。
戦後も一万人くらいいたといわれるサンカも昭和30年代あたりには姿を
消したといわれます。

こんな本を読んでみた | 17:13:17 | トラックバック(0) | コメント(0)
アルコール燃料は本当にダメだったのか?
前回、アルコール燃料で飛んだ零戦が、意外に調子よかったという感想を
載せました。
そんなことあるのかー?っと調べてみたら、こんな記事がありました。

jairpower

これは米軍が終戦直後に調査してまとめた「日本の空軍力」という報告書です。
雑誌「丸」の1995年1月号から10月号までに全文翻訳、掲載され、のちに本
になっています。

関係者への聞き取りや残された資料をもとに、日本陸海軍航空隊の終戦時の
状態を戦力・兵站・生産力・パイロットの養成など網羅的に詳細に取りまとめて
います。
読んでいると、はたしてこれだけの現状認識を当時の司令官・参謀が持ててい
ただろうかと、考えてしまうくらいのしっかりした内容です。

この報告書の中に航空ガソリンの代用品という項があって、アルコールについて
調査しています。
「アルコールは、単独またはガソリン20%、あるいは50%混合液として、1945
年初頭には陸海軍ともに練習用にひろく使用しはじめた。」
終戦直前の1945年7月につかった航空燃料では陸軍の21%、海軍の40%は
アルコールだったとあります。

「アルコールを航空燃料に使用しても、エンジンのパワーに損失はなく、実際には
いくらか増大した。」という記述には驚かされます。

ただし整備上の問題を指摘しています。
1、燃焼不良のためにシリンダーに過冷却がおこり、シリンダー頭部をアスベスト
で保護しなけれなならなかった。
2、気温が低い日には空気と燃料の混合がうまくいかないので、吸入空気をあら
かじめ温めておく必要があった。
3、燃料系統の部品、とくに銅合金製部品の腐食が早くなった。
4、一般的に始動が困難になり、始動用のガソリンタンクが必要になった。
5、低温下では燃料分離の傾向があった。

作戦上の問題では、
1、燃料消費量が約50%増加した。
2、加速力が低下した。

その他の代用燃料では海軍が松根油から精製した少量の燃料以外には
実用化されたものはなかったとしています。

kaigunnen

これは給油中の96式陸攻のよく見る写真ですが、注目したのは翼の下に
大きく書かれた機番71です。
私はこれは第一航空艦隊司令部付属輸送機隊の96式陸攻21型ではない
かと思っています。もしそうなら機番は白でZ-417でしょうか。下面に機番
は96式陸攻ではわりと珍しいです。

航空史家の渡辺洋二さんの著作「未知の剣」にはアルコール燃料について、
所沢の陸軍航空審査部でテストをした興味深い記述があります。

「最も優れた成績を示したのは三式戦だ。」
「ガソリン使用時よりもむしろ調子が良く、エンジンの与圧高度が300mほど
高まり、最大速度も15km増大したという。」
「アルコールは適切な混合比に幅がないため、気筒の上下位置で燃料濃度
に差が出る星型エンジンには不向き。倒立V型エンジンのキ61向きだ。」

液冷式エンジンの三式戦飛燕にはアルコールが向いていて、ほかの星型
エンジンの機体には向いていないというんですね。驚きました。
でも、アルコール燃料で戦った飛燕の話は聞いたことがないですね。

こうしてみると戦時中のアルコール燃料に関するイメージはすこし考え直す必要
がありそうです。
整備方法の対応や部品の変更などのすべき対策をしないまま、アルコール燃料
を導入した事情に加えて、量産エンジンの品質低下でさらに混乱が増幅すること
で、定着したイメージなのではないか。
充分な対応策がとられていたら、結構うまくいった可能性はありそうに思えます。


「ヒコーキ?」な話 | 10:23:49 | トラックバック(0) | コメント(2)
零戦がアルコール燃料で酔っ払い飛行をした話
海軍燃料 1

戦争中の日本は燃料不足が深刻で、陸軍も海軍もサツマイモや砂糖から作る
アルコール燃料の実用化を真剣に模索していました。(例によって、陸軍海軍
それぞれ別個の模索になりましたが)

でもこんなものが実戦に使えるはずもなく、多くは練習航空隊にまわされてしまっ
たようです。
アルコール燃料を押し付けられた練習航空隊では、おっかなビックリ使っていたの
が実情だったようで、当時の手記にはその様子がたくさん見られます。

「我われの訓練の燃料であるガソリンも、徐々にオクタン価のひくい粗悪なものになり
、そのうちアルコールが混じり、最後にはオールアルコールになって点火栓がよごれ、
ときには空中でプスンプスンとエンジンが停止し、まったくひやひやさせられた。」

赤トンボのような複葉機ならまだしも、96式陸攻のような大型機の場合はもっと大変で
した。
練習部隊だった松島空ではアルコールではエンジンの出力が出ないため、離陸するとき
だけ通常の燃料を使い、水平飛行に移ったらアルコール燃料の燃料タンクに切り替えて
飛んでいたそうです。

tukuba 1

雑誌「丸」1978年5月号の筑波航空隊の元上飛曹、小林さんの手記は一味違っていまし
た。
昭和20年早春のこと、零戦をオールアルコールの燃料で飛ばすテストをするはめになって
、びくびくしながらの第一回目のテスト。

「いざ飛んでみると、オクタン価のせいか馬力も上々で、性能も抜群だ。筒温さえ気を付けれ
ば、大幅に馬力アップしたような感じで、けっこう使える。」

喜んだあとの2回目のテスト。

「二千メートルほど高度を取って、テスト課目に入ろうと思っていた矢先、エンジンがプスプス
と、極めて不愉快な音をたてだした。」
「機首を突っ込んで、何とかかける。また止まる。とまったりかかったり、ふらふらと、ちょうど
酔っ払いのような飛行ぶり。アルコールだから仕方ないかもしれないが、本人にとっては命
がけだ。
プスコプスコと言いながら、やっとの思いで何とか飛行場へすべりこんで、どうやら命びろい
をした。」

けっきょくキャブレターのフロートがアルコールで傷んだことが原因だったとか。
このようなキャブレターの不良が頻発したようで、陸軍では燃料によって整備方法を変えて
いたそうです。

でも、この方のようにアルコール燃料で「馬力も上々、性能も抜群」と書かれた例は他には
見たことがありません。一体どういうことなんでしょう。
気になったので調べてみた結果は、また続きで。





「ヒコーキ?」な話 | 15:03:53 | トラックバック(0) | コメント(2)
ハインケルHe116のナゾと戦時の日独連絡便
he116 dainihon

前回のハインケルHe116旅客機については、もう一つ話題があります。
じつは、ガダルカナル島のジャングルの中にHe116と思われる残骸が眠って
いるというのです。
わたしも以前それらしい写真をネットで見た記憶があって、その後捜してみたの
ですが残念ながら見つかりません。

大日本航空が輸入した2機のほかに、海軍の発注で昭和16年7月に日本郵船の
「浅香丸」で運ばれた機体が一機あります。
この機体の写真は残っておらず、これが旅客機型なのか長距離偵察型のB型な
のか形式が不明です。

しかもそんなものが何故、よりによって最前線のガダルカナルにあるのか。
いろんな妄想を掻き立てるお話なのですが、私はこれが日独連絡便となんらかの
関係があるとすれば面白いなあと思っています。

戦時中、日独連絡便には三つの方法があって、すべて海軍が所管していました。

ひとつは海上輸送
ドイツから日本へ向かう貨物船を「柳船」と呼んで工作機械や20m機関砲などの
兵器・弾薬を運びました。日本からドイツに帰る船を「逆柳船」と呼んで生ゴム・スズ
タングステン・キニーネなどを運びました。
貨物船が十数隻、ほかに10隻くらいの仮装巡洋艦もこ゚の任務に就いていました。
しかし日本の開戦後には、英海軍のストーンウォール作戦などの封鎖を突破できず
連絡は途絶しました。

二つ目は空路での連絡便。
ドイツ側からはHe177やBv222飛行艇で昭和16年・18年・20年に航空便の
打診がありましたが、日本側はソ連上空を通るのに反対して中止になりました。
日本側からは昭和18年7月にА26輸送機で「セ号飛行」を試みて行方不明に
なっています。

三つめは潜水艦輸送。
これは良く知られているように、大西洋の警戒が厳しくなっていて、成功した潜水艦
はわずかでした。でも秋水やジェットエンジンの基礎資料を日本にもたらしています。

このように結果的には戦時中の日独間の連絡は困難な状態でした。
ただ海軍が購入したハインケルHe116はこの日独間の連絡飛行と何らかの関係が
あったのではないかと、私は思うんですけどねー。

仮装巡洋艦 | 16:44:15 | トラックバック(0) | コメント(2)
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