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しおチャン

Author:しおチャン
還暦、リタイアで子供にかえって60年代ヒコーキプラモを作っています。
信州飯田のなかば田舎、半分街中のどっちつかずの田舎暮らしを楽しんでいます。

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練習機の機番の書き方に決まりはあったんだろうか。
99sikikoutourenn
99式高等練習機は98式直協から派生した練習機型。
フジミ社のキットは私の大好物です。

写真は士官学校のマークを付けた機体でカウリングに大きく機番が入っています。
練習機なのでおかしな飛び方をしたら、操縦者が誰か地上からすぐわかるように
するためです。
複葉の95式練習機にも同様のナンバーを付けたものがあって、一般的に見られる
書き方です。

98sikityokkyou number
写真は所属が士官学校かどうかはわかりませんが、機番が翼下面の両側に書いてあります。
地上からも識別できるように翼下面にも書いたほうがいいのは当然なんですが、といってとくに
統一されていないみたいなんです。

書いてある物ないものそれぞれ、しかも翼下面なので写真では確認できない場合が多いのが
困りものです。
機番の代わりにひらがなを書いた機体もあって、その場合なんか翼下面はどうしていたのか
想像が出来ません。
塗装図でもホントに確認したの?ってものも多いから、、、、。
結局、「確認できる範囲でなるべく注意して作る」ということになってしまいます。

fokker f7a1m sikaka
仕掛中のフォッカーF7A/1m旅客機はエンジンのすげ替え中。
仮組をして位置合わせです。
翼長も短かく改造しました。のんびりゆっくりやってます。
そのうち下の写真のようになるといいのですが。

fokker f7a p


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「ヒコーキ?」な話 | 15:38:57 | トラックバック(0) | コメント(0)
多分誰も作らないだろうけれど。
hadrian 2
昔々つくった強襲グライダー、CG-4Aハドリアンのキット。
イタレリ社から発売された時、何の資料もなくて結局Dディ参加機のシマシママーキングで
作るしかありませんでした。
地味な機体に地味な塗装なんて、作る人いるわけないだろー。
出してくれただけでもありがたいのだけれど、メーカーにはもう少し努力してほしかった。

探せばシャークマウスの機体とかあったけれど、ありふれていて手を付ける気には
ならなくて。
でも今ネットを探すとこんなのがあるんですね。

hadrian1
開戦前の陸軍機マーキング、黄色に青、しかも旧の国籍マークです。
これはいいですね。

waco cg-4a
さらに戦後、タイヤの広告塔になってお役に立ってる姿。
当時知っていれば、これで作っていたなあ。
と言ってももう一つ買って作るかどうか、ちょっと迷っていてビミョーなんです。
なにせ積プラが、、、。

グライダーのキットはいくつかあるけれど人気はないですね。
わざわざ作ろうって方、いないのかもなあ。

「ヒコーキ?」な話 | 10:47:44 | トラックバック(0) | コメント(0)
厚木を基地にした防空戦闘隊、302空の本
302kuu
航空史家の渡辺洋二さんの著書「首都防衛 302空」は、厚木基地で首都の防空を
担った302空の軌跡をまとめた本です。
むかし航空ファンに長期連載され、のちに文庫版上下二巻で出版されました。

私もこの文庫版を持ってましたが、数年前にこの大部の本として再刊されました。
今回部隊の終戦後の1章が加わっていましたので古本でまた買ってしまいました。
比べてみると全体に語句が訂正されていたり資料が収録されていたりで、決定版
として刊行されたものという内容です。

302空は斜め銃の小園司令や終戦時の反乱など話題に事欠かない部隊です。
大戦での日本軍は戦略的には後手後手に回ることが多かった感がありますが、この
本土防空戦闘隊の設置に関しては早くとりくんでいるのが印象的です。

登場する日本側戦闘機の種類も多く、たくさんのエピソードを詳細に掘り起こしています
ので、面白く読みごたえのある本になっています。


「ヒコーキ?」な話 | 19:27:31 | トラックバック(0) | コメント(0)
旋回機銃というか旋回拳銃というか、こんなの嫌だ。
nunbu rugar

海外サイトで見つけた写真です。
国も飛行機の形式もわかりませんが、旋回式拳銃というものを
見たのは初めてです。

きっと手作りだと思いますけど、よく作ったものです。
一度に引き金を引けるような仕掛けがあるんだろうと思いますが、
まさかひとつひとつ指で引くんじゃないですよね(笑)。

写真にはnunbuとありましたが、私にはルガーに見えます。
まさに必要は発明の母、ですね。

「ヒコーキ?」な話 | 10:12:45 | トラックバック(0) | コメント(4)
太平洋戦のトップエース、西澤廣義の伝記
にしざわ
アメリカ側で太平洋戦争での日本側トップエースのひとりとして知られる
西澤廣義について書かれた武田信行 著「最強撃墜王」を読みました。

自身の撃墜数87機、自身が撃墜確実と感じた機数で150機ともいわれる
撃墜王です。しかもこれが全部対米英戦のみなのが凄い所です。

一撃離脱戦法で降ってくる敵機もいつかは水平に引き起こさなければなら
ないのだから、ついていってその瞬間に相手の未来位置にむけてみこし射撃
をすれば、必ず当たるという対処法で撃墜数を伸ばしました。

開戦翌年にラバウルで96式艦戦をかってカタリナを夜間撃墜したのが、初戦果。
千歳空は零戦への転換がおそくなった飛行隊ですが、96艦戦でそんな戦闘が
あったなんて知りませんでした。
600ページを越す大部な本で、丁寧によく調べてあります。

改めて感じたのは、日本の戦闘機乘りの数のすくなさ。
4年ほどの戦闘のあいだに知られた戦闘機乘りの名前がたくさん出てきます。
狭い世界です。

ゼロ戦も隼も万単位で作られたけれど、それに載ったパイロットは本当に少なかった
んですね。西澤の同期パイロットはわずか20人。彼が教員になってパイロット教育を
した時の生徒は60人。
三倍になって人も機材もてんてこ舞いに忙しかったというけれど、米英に比べれば
ほんの僅か。
よくこんなんで戦えたもんだというべきです。

「ヒコーキ?」な話 | 10:23:28 | トラックバック(0) | コメント(2)
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