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しおチャン

Author:しおチャン
還暦、リタイアで子供にかえって60年代ヒコーキプラモを作っています。
信州飯田のなかば田舎、半分街中のどっちつかずの田舎暮らしを楽しんでいます。

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よもぎ豆腐 阿智村園原の門前屋のおとうふ
門前屋のよもぎ豆腐
飯田市のお隣、阿智村の園原にある門前屋さんのよもぎ豆腐です。

おいしかったー。
ごま豆腐みたいにモチっとしていて、かすかによもぎの香りが口に
残ります。やっぱり、冷奴でするっといただく豆腐です。

国産大豆100%、おからを出さない製法で食物繊維たっぷりと
かいてありました。でもそれより、このお豆腐のよさは食べてみれば
すぐに分かります。
このさっぱりしたおいしさは、いいものの味わいです。

お休みがあると、ちょっと行って景色を楽しんで、こうしておいしいもの
を一つ買って家族で分けて食べるというのがいいですね。

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信州飯田の田舎暮らし | 20:41:32 | トラックバック(0) | コメント(0)
白いエニシダの花 挿し木がついたみたい
白いエニシダの花
去年挿し木にしてみたエニシダの枝が花をつけました。
うまくつくといいなとおもっていたら、元気に根がついたみたいです。

いきなり花が咲くとは思っていなかったので、びっくりです。
枝を取ったもとのエニシダのほうは、まだようやく白いつぼみ
になる芽がでてきたところです。

10本くらいの挿し木がついたみたいで、今度はどこに植えようかと
あれこれ思案中です。

信州飯田の田舎暮らし | 13:15:36 | トラックバック(0) | コメント(0)
藍の苗が育ちました。 藍の生葉染め
藍の苗が育ちました
去年とった種から育てた藍の苗です。
3月から、種を播いて水をあげて、霜にあたらないように
気をつけて育てるとこんなに大きくなってくれました。

同じ時期に畑に直播した種は、まだちいさな双葉のままです。
こうして先に大きくしておくと、直播のものよりも早く藍を
使えます。

この苗は連休最後の日に畑に植え替えるつもりです。
そこまで待てば、もう霜も大丈夫でしょう。
そのまますくすく育ってくれれば、6月末までには、今年最初の
藍の生葉染めができるかなと思います。

今年は、カミさんの知り合いの農家のおばさまたちに藍の種を
わけて、それぞれに育ててもらっています。その葉を使って
それぞれに藍の生葉染めを楽しんでもらう予定なんです。
どんな作品が生まれるか、みんなに楽しみが広がってくれれば
うれしいですね。

藍の種はまだたくさんありますから、ほしい方があれば声をかけて
ください。お分けします。
これから播いても大丈夫、生葉染めは9月いっぱいまでできますよ。


藍をそだてる | 08:26:24 | トラックバック(0) | コメント(0)
冬越ししたルッコラが大きな草むらになってます
冬越ししたルッコラ
去年大きくなったルッコラを冬中そのままにしておいたら、
もう60センチくらいの大きな草むらに育っています。

多年草ですが、今の時期こんなに大きくなるのは、はじめてです。
ほかのルッコラは、まだ地面にはいつくばっているところなのに。

このままだと中がむれて昆虫の巣になってしまうので、剪定がてら
せっせと食べてます。この半分くらいの大きさにしておかないと、
夏までに、手がつけられないくらいのジャングルになりますので。
ほんとに野生の力はすごいもんです。

畑にあちこち、なにもしなくてもルッコラがはえてきていますが、
いろんなルッコラを食べたいので、また種類の違う苗を買って来て
植えました。それぞれ味と歯ざわりの違いが楽しめます。

信州飯田の田舎暮らし | 11:24:19 | トラックバック(0) | コメント(0)
新潟の笹だんご 季節のいただきもの
新潟の草だんご
新潟の親戚からいただいた笹だんご。
よもぎ餅に包まれた餡のやさしいおいしさがうれしいですね。
むかしながらの笹をといて食べるたのしさもあります。

長い冬が終わって、芽吹いたよもぎから作って食べるのは、本当に
うれしいことだったのでしょうね。
今は一年中売っていて、全国の名物から季節感がなくなりつつあるのが
すこし残念ですが。

でも、おいしくいただきました。

信州飯田の田舎暮らし | 20:47:08 | トラックバック(0) | コメント(0)
フィアットG55 フロッグ 1/72
フィアットG55
もう一つのフィアットG55のキットです。
フロッグの1970年ころの発売。

ビニールパックのキットだったので、デカルはぱりぱりになってましたが
かろうじて使えました。
ラジエターの前が開口していないなど、とても70年代キットとはおもえない
ところもありますが、まあまあのかたちをしています。

わたしは華奢で華麗なマッキMC205よりも、鈍くさいくらいがっちりした
このフィアットG55のほうが好みですね。

フロッグもいまはなくなって、このキットも絶版になりました。
おなじフロッグのキットでも、他のキットはノボなどのロシア・東欧圏のメーカー
から再販されたのですが、これやマッキMC202などのイタリア機は、
なぜか再販されませんでした。
やっぱりイタリア機って世界中で人気がないのでしょうか。


イタリア機 | 20:00:26 | トラックバック(0) | コメント(0)
フィアットG55 スーパーモデル 1/72
フィアットG55
ドイツから技術提供されたエンジンDB605によって、イタリア空軍は、この
フィアットG55とマッキMC205・レジアーネRE2005の3種類の戦闘機を
生み出しました。
この中で、マッキMC205は、前作マッキ202の生産ラインをそのまま使えた
ので、一番順調に生産をつづけました。

フィアットG55のほうは、1943年にDB605の国産化エンジンが供給されるまで
1年ほどのあいだ生産ができず、結局終戦までに部隊配備されたのは100機ほどでしか
ありませんでした。

しかし、戦後も練習機型のG55A・G55Bとして生産が続けられて、総生産機数は
600機以上、3種類の戦闘機のなかで一番多くつくられました。
そしてその後も、G59練習機に発達して1950年代まで長く現役にとどまりました。

頑丈で余裕のある機体設計・安定性のよさなどの点でマッキMC205よりも高く評価
されたためでしょう。

G55は、輸出されたアルゼンチンでは1960年ころまで戦闘機(戦闘練習機)として
現役で、F4Uコルセアなどと一緒に飛んでました。

スーパーモデルのキットは1970年ころのもの。
このメーカーとしては、かっちりとした良い出来のキットです。
なくなったメーカーなのが残念。
もう入手はできないのが悲しいです。


イタリア機 | 20:23:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
99式艦上爆撃機11型 フジミ 1/48
99式艦上爆撃機 フジミ 1/48
フジミの古いキットですが、いまの眼で見てもなかなかいいできの
傑作だとおもいます。

昔作ったイマイの1/50は、オール可動全盛期のガタガタのキット、かなり太り
気味でしたが作る楽しさは充分味わえました。
そのあと出たタミヤの1/50のキットは、シャープですがもうすこし愛想がほしい
感じ。
それで1974年発売のこのキットは、バランスの取れたいいキットでした。
とくに急降下爆撃のさいの爆弾の投下機(プロペラの回転面のそとに投弾する機構)
が再現できる点は、よいサービスでした。

作例は昭和18年、ソロモン諸島ムンダ飛行場に遺棄されていた機体です。
11型ですが、プロペラに22型の白のスピナーをつけています。
こうすることで、ほんのわずかでも速度を稼ごうとしたのでしょう。
大きな被害をうけながら、すでに旧式化した機体で出撃しなければならなかった
搭乗員の悲鳴が聞こえてきそうな機体なのです。

日本機 | 20:21:23 | トラックバック(0) | コメント(0)
ハンナ・ライチェとV1有人化計画
V-1とFi103R
ハンナ・ライチェがナチスとどれほど深く関わっていたかは、
V1の有人化計画「ライヒェンバック計画」を見れば分かります。

V1は大戦前半には大きな戦果をあげましたが、フランスの発射基地
を失った後は、わずかに爆撃機からの空中発射が細々と続いていました。

ハンナは、このV1に操縦席をつけて爆撃機から空中発射して、目標
に照準をあわせることで命中率を上げることを進言しました。操縦士は
目標近くで脱出する建前でした。
これによって連合軍に大きな損害をあたえて、選局を挽回しようという
ものです。

ハンナの進言は容れられて、V1の改修と操縦士の養成が始まりました。
しかし、操縦士の脱出には大きな困難があります。

図の上がVI飛行爆弾。下が有人化したFi103Rの練習機です。
Fi103Rの操縦席のすぐ上には、パルスジェットの吸気口があって
脱出のさいにキャノピーか操縦士かが吸い込まれてしまいそうです。

こんな絶望的な作戦を進言して、さらに自ら志願するほど、ハンナは
ナチスと運命をともにする決意を固めていたのですね。

Fi103Rは175機が完成し、操縦士も70人ほどが訓練をしていました。
開発中に2人のテストパイロットが亡くなっています。
結局、作戦は実施されずに終わりました。
よかったというしかないですね。

着陸はソリだけですし、着陸速度は極端に早そうですから、訓練そのものが
命がけだったでしょう。
いったい、どんなふうにトレーニングしていたんでしょうね。






「ヒコーキ?」な話 | 18:53:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
ハンナ・ライチェとヘリコプターFw61
フォッケウルフFw61
飛行家ハンナ・ライチェの続きです。
彼女は世界で始めて女性でヘリコプターを操縦した人です。

写真のフォッケウルフFw61がその機体です。
胴体の両側に張り出した2個のローターをそれぞれ逆に回転させる
ヘリコプターです。
機首についているプロペラは冷却用です。
ですからオートジャイロではないのです。

ハンナの本では、はじめて操縦するとき、いきなり100mの高さに
上昇させて、空中で静止したり、後ろ向きにとんだりしましたが、操縦は
とても簡単で自由に動かせたと書いています。

1938年にベルリンのドイツホールスタジアムの中で、ハンナは大勢の
観客のまえで屋内飛行をしてみせて大喝采を受けました。
ハンナの乗ったのは、D-EKRAの登録記号の試作2号機でした。
この写真の機体には登録記号がないので、そのときのものかどうかが
分かりません。
スタジアムの中のようですが、大勢居たはずの観客も写ってません。
でも、展示飛行は3週間にわたって続けられたそうですから、その時の
ものではないかとおもいます。

その後、このヘリコプターは大型化されてFa223の名前で量産化、
世界初の輸送ヘリコプターとなりました。残念ながら戦争のため、
ルフトハンザ航空用の民間ヘリのほうは実用化されませんでしたが。

「ヒコーキ?」な話 | 20:23:04 | トラックバック(0) | コメント(0)
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まとめ