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しおチャン

Author:しおチャン
還暦、リタイアで子供にかえって60年代ヒコーキプラモを作っています。
信州飯田のなかば田舎、半分街中のどっちつかずの田舎暮らしを楽しんでいます。

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97式重爆 緑十字機の塗装 アオシマ 1/144
97式重爆

97式重爆は、アメリカ軍との戦いではすでに旧式機になっており
夜間爆撃や輸送任務が中心になっていました。
そのため終戦後の事務連絡や輸送に、数機が緑十字マークを
つけて飛行しています。

この機体は、ビルマ・タイ、ベトナムなどの南方に展開していた
第3航空軍司令部飛行班の所属。
モロタイ島に交渉使節団を運んだ機体の一つではないかと
思うのですが。
南方軍の緑十字飛行は資料が残っておらず、特定できない
物が多いですね。

97重爆のキットは少なくて、今入手できるのはこのアオシマの
小スケールだけ。
2機入りなのがうれしいけれど、昔入っていた給油車などは
もうついてないのです。

今年、1/72の国産キットが出てくるようなので、楽しみにして
います。


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日本機 | 19:25:23 | トラックバック(0) | コメント(0)
地元に残る戦争遺跡、爆弾三勇士の石像
爆弾三勇士の像
私の家から山に向かって車で5分ほどいった山の中に、
「猿くらの泉」という日本名水百選にえらばれた泉があります。

その入り口のかたわらに、爆弾三勇士の石像があります。
小高い山林のなかで、道からは見通せないため知る人も
ほとんどありません。
ご存知のように、1932年(昭和7年)の上海事変で爆弾を抱えて
鉄条網に飛び込んで戦死した三人の工兵です。

新聞報道で全国的な評判になり、間もなく飯田にも顕彰する
石像が建てられました。
下の写真が大阪朝日が報じた新聞写真。
当時、この写真が全国的に流布されたとおもいます。
石像もどことなく似ているような。

三勇士の写真

大々的に宣伝され映画化されたりした軍国美談でしたが、
その美談としての成立過程には、研究書がありますので
調べてみてください。
戦友だった人の当時の証言に「かわいそうでならない」とあります。
このころはまだ、そんな証言を残すことができたのだなあと、
私には驚きです。
どんなふうに顕彰されても、命があったほうがいいよなあ
と思いますよ。


信州飯田の田舎暮らし | 20:54:22 | トラックバック(0) | コメント(0)
サリー・ポッター 「耳に残るは君の歌声」
耳に残るは君の歌声
サリー・ポッター 「耳に残るは君の歌声」 角川書店

映画監督や作曲家・ダンサーなど多才ぶりを発揮している
サリー・ポッターの著作です。
映画もよかったです。
でも本で読むと、もっと冷静に見直すことができるようです。

1927年のロシアの寒村で美声の父親の子守歌で育った
少女が戦乱のヨーロッパを渡り歩いて、アメリカに出稼ぎに
いった父親を探す物語。
貧困や少数民族問題なども視野に入れた、かなり暗いお話
ですが、豊かな情感が漂うのがこの作者の持ち味ですね。

二十世紀には泣きたいことがたくさんありましたという著者
が、苦難のなかで倒れた人や乗り越えてきた人への哀悼と
敬意をこめた作品でした。
表題はビゼーのオペラの中の歌で、映画の中でも使われて
いました。
わたしにとっては活字が大きかったので読みやすい本でした。


こんな本を読んでみた | 19:39:48 | トラックバック(0) | コメント(0)
庭に黄色い花がいろいろ咲いています
すいせん

黄色の花が、庭のあちこちに咲きだしています。

この水仙の花は先日庭で一番早く咲きだしたもの。
でもこれはあまりにおいがしません。
ニオイスイセンと呼ばれる香水の原料にも使われる
香の強いスイセンは、いつもこ゚の水仙のあとに咲いて
きます。

サンシュユ

こちらはサンシュユの木の花。
ハルコガネバナの名前もあります。
その名前ほうが、春に咲く小さな花の感じが出てますね。

秋には大きめで細長い真赤な実がなります。
でも渋いので、鳥さんたちは好みではないみたい。
食べているのを見たことがありません。
秋にはそこいらじゅう甘い果実があるのだから、
あたりまえですが。

信州飯田の田舎暮らし | 19:45:43 | トラックバック(0) | コメント(0)
りんごのお酒、シードル普及。ポムリエ協会の初級認定証がきました。
ポムリエ初級認定証

先日来、講習を受けてきた、ポムリエ初級の認定証が
おくられてきました。
といっても、この資格で何ができるというわけではない
のです。
まだまだ知名度の低いリンゴのお酒、シードルが普及
するように協力したいというだけです。

講習には、リンゴ農家やシェフ、酒販店など仕事関係の
かたのほかに、私のような一般の人もたくさん参加して
いました。

リンゴ産地の飯田市下伊那のりんごで、うまいリンゴの
お酒ができたらいいですね。
講習でたくさんのシードルを試飲して、シードルの広くて
深い味わいに触れることができました。
消費者の立場で、個性のあるうまいシードルができるよう
協力していきたいです。


信州飯田の田舎暮らし | 19:56:43 | トラックバック(0) | コメント(0)
メッサーシュミットBf109F フロッグ 1/72
Me109F

1970年ころに発売されたFROG社のメッサーシュミットBf109F。
胴体後部が少し細いような感じがする以外は、非常によいできの
キットとして評価されていました。
後期型としてはエアフィックスやエレールのものよりも、たしかに
いい姿をしているように思います。

先にご紹介したハリケーンとともに、FROG社の製品のなかでも
傑作といっていいようです。
私がよくフロッグ味と呼んでいる個性豊かな似てない製品のある
FROG社ですが、中には優れたものも少なくありません。

そのできに一喜一憂した世界中の先輩モデラー達がいてくれたから
こそ、現在のプラモワールドがあるわけです。
オールドモデルを作っていると、そんなことを思わされます。

作例は250k爆弾を積んだ戦闘爆撃機型。
小さな機体に重い爆弾を積んで、胴体後部に大根のような
爆弾の絵を描いたものです。

パイロットは嫌がったんですよ。
こんな重い爆弾を積んだのでは、軽快な戦闘機もただの
射的場のマトですから。
サッサと爆弾捨ててしまう人が多かったから戦果は少なかった
という説もあるけれど、それはそもそも命中率が低かったから
です。
爆弾って、まじめにやっても当たらないのがふつうらしいです。
だから少しでも波及効果があるように、余計に大きな爆弾を
積ませたという事情があるようで。


ドイツ機 | 19:49:27 | トラックバック(0) | コメント(1)
ようやく中梅の花が咲きだしたところです。
中梅の花

世の中では桜の開花が話題になっている中、
梅の開花の話題にしているところです。
長野県の南とはいえ、やはり飯田の気候は
まだまだ寒いのですね。

先日の庭の小梅の花に続いて、それより大きい中梅の
花が3分咲きくらいになっています。
梅だけど花はきれいでしょう。

飯田の桜の開花は、まだ来月はじめくらいでしょうか。
先日行ってきた天竜村あたりなら、もう少し早いかも
しれませんね。

信州飯田の田舎暮らし | 20:51:35 | トラックバック(0) | コメント(0)
高校生の絞り染めスカーフ展に行ってきました。
高校生の絞り染めスカーフ展

カミさんが指導している高校生の絞り染めスカーフの
展示会に行ってきました。

高校生達は、学校の農場で育てた藍の葉っぱを使って
藍染の基礎を学んできました。
そして本格的に本藍で染めたシルクのスカーフの作品を
展示しています。
(上郷の喫茶店アートハウスのギャラリーで明日まで)

生徒それぞれが工夫と熱意をこめた作品。
きれいな色でしたよ。
生徒の家族が大勢見に来ていたそうです。

喫茶店のお客から売ってほしいという声があるそう
ですが、生徒がこれに費やした時間と熱意を思えば
値段なんか付けられないでしょうね。


信州飯田の田舎暮らし | 20:20:13 | トラックバック(0) | コメント(0)
戦争遺跡ツアーの続き、平岡ダム
慰霊碑の裏側の名簿

天竜村の平岡ダムの建設では、戦時中、連合軍の捕虜や
中国・韓国の労働者の強制労働で突貫工事がされたことは
地元では有名です。
その様子を見てきた村内の人のお話をきくことができました。

いまでは考えられないような悲惨なお話でしたが、戦争遂行と
いう大義をかざすと、普段は普通の人でも善悪の判断が思考
停止になってしまうんでしょう。

連合軍捕虜については、B・C級戦犯の横浜裁判があったことも
あって比較的資料が残っています。
この裁判で一番最初に取り上げられたのが、この平岡ダムのケース
です。
ここでの捕虜虐待を連合軍がとても重視していたことがわかりますね。
のべ400人くらいの捕虜のうち54人が亡くなっています。

収容所が今の天竜中学校のグランドにあったため、そのわきに慰霊碑
が建てられています。慰霊碑の裏に亡くなった捕虜の名前が刻まれて
いますが、認識番号だけの方もいました。
日本軍の捕虜になった連合軍捕虜の死亡率は27%と言われています。
ドイツ軍の連合軍捕虜の死亡率は7%。

ここの捕虜だったイギリスのウィリアム・ローズさんは、ここを慰霊に来て
中学校生を毎年イギリスに招待したそうです。
日本人を憎んでいたでしょうに、過去とのすごい向き合い方ですね。
加害の歴史に対して「負の歴史だから」といって目をそらしてすまそうと
するのと比べると、なんか恥ずかしくなってしまいます。

中国・韓国の労働者の犠牲については、確実な数字も名前も
わかっていません。

結局、平岡ダムは資材不足のため終戦前に工事中止。その電力を使う
はずの名古屋の工場地帯は、空襲と地震で壊滅していました。

信州飯田の田舎暮らし | 21:05:41 | トラックバック(0) | コメント(0)
飯田の戦争遺跡めぐりをしてきました。
同会の戦争遺跡ハンドブック

飯田下伊那の戦争遺跡めぐりのバスツアーに行ってきました。
「平和のための信州・戦争展」実行委員会が今日行ったもの
です。
こういうものにどれだけの人が参加するものかなあと思って
いたら、30人くらいいてバスがいっぱいになりました。
意外でした。
ただし、ほとんどがお年寄りでしたよ。

飯田下伊那の5か所の戦争遺構を見学しました。
写真はこの会が今年発行したハンドブック。
表紙の建物は阿南町富草の対空監視哨跡です。

PAP_0532.jpg

地下2.5メートルまで穴を掘ると、外の音は全く聞こえず
上空の飛行機のエンジン音が、穴の中に響いて聞こえる
のだそうです。
これで空襲をいち早く察知しようとしたもので、この地方には
5か所ありましたが、このように保存されているのはここだけ
だそうです。
名前は聞いていましたが、現物は初めて見ました。

他にもいろいろ、面白い一日でした。

信州飯田の田舎暮らし | 20:44:55 | トラックバック(0) | コメント(0)
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