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しおチャン

Author:しおチャン
還暦、リタイアで子供にかえって60年代ヒコーキプラモを作っています。
信州飯田のなかば田舎、半分街中のどっちつかずの田舎暮らしを楽しんでいます。
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仮装巡洋艦 その9 印度洋の常陸丸 続々
今回は常陸丸の乗員中唯一の女性 鯨岡かめのさんについて

当時の客船にはスチュワーデスとしてお年寄りや病人・子供
などの世話をする女性が乗っていました。
常陸丸には鯨岡かめのさん 大正8年当時49歳。司厨部看護方。

大阪朝日新聞1931.9.26には「船上のアマさん」ー船と共に
国際的に移動する健気な職業婦人の群れーと題する記事では
採用条件は25~50才、女学校以上の学歴と多少語学のでき
る人、たいていは船員の未亡人などなのだそうです。

看護婦や電話交換手などの業務があったようです。
かめのさんについても、昨年静岡丸を最後に職を退いたが
63,4才だった。常陸丸で難にあい、ノルウェーで解放されて
常陸丸の詳報を最初にもたらしたと、紹介しています。
60すぎまで外国航路の船に乗り込み、何ヶ月も洋上生活を
する人生があったのですね。

『印度洋の常陸丸』には、ほかにも外国船の船員として働く
日本人や、日露戦争で捕虜になり帰国せずに外国で暮らす元
日本兵などが出てきます。たった一人で海外に飛び出した
たくましさに驚かされます。

東京日日1918.11.27と 12.05の記事には、常陸丸の乗員たち
ドイツに抑留されていた日本人が帰国することになったと報じて
ています。そのほかにも30人ほどの日本人が抑留されていて
多くは「旅芸人の類だろう」としています。その30人ほどの
名前(名前の断片のようなもの)がのっていて、心当たりの
ひとの情報を求めていました。
この人たちはその後どうしたんでしょう。
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仮装巡洋艦 | 22:38:51 | トラックバック(1) | コメント(0)
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今回は常陸丸の乗員中唯一の女性 鯨岡かめのさんについて当時の客船にはスチュワーデスとしてお年寄りや病人・子供などの世話をする女性が乗っていました。常陸丸には鯨岡かめのさ...
2012-05-30 Wed 00:20:03 | まとめwoネタ速neo